UNMANNED 無人駅の芸術祭大井川
2020年の春、昨年に引き続いてUNMANNED無人駅の芸術祭に参加させていただいた。 無人をキーワードに、今回は駅ではなく、久野脇と三ツ間の集落で大切にされている佐澤薬師堂を舞台とした。
この佐澤薬師堂は、縁結びのお堂。特に今年は60年に1度の大祭が1月に執り行われ、ひよんどり*1(火踊り)も復活。
*1
ひよんどりは火を囲んで男女が肩を組み、手を繋いで踊り回る行為で、出会いの場でもあり、その日だけは身分の差を超えて男女は手を取り踊ったという
取材を進めると、この久野脇や三ツ間の地区は水に苦労した地区だと分かった。
-人々の出会いの場だったこのひよんどりの穴を記憶の泉にしよう-
着想は早かったが、泉づくりは難航を極めた。
イトナミダイセン藝術祭のバス停同様、場を清めるところ(掃除)からはじめ、ひよんどりの穴を地ならしする。
水を貯めようともうまくいかず、結局素人仕事で3度失敗。途方に暮れていたところに集落の方々の助けが入った。
老朽羽化した薬師堂の補修工事と展示準備の時期が重なり、集落の方々に加え、職人さん達の手助けもあり、様々な方々の御尽力と手助けもありで、ベースになる池が完成したのは、展示の5日前。かつてお堂の屋根に使われていた瓦を縁に配し、石は大井川のものを敷き詰め、そこに、久野脇の水源から水を引く。
人間の脳は水で満たされ、その人間も母親の羊水の中で器官が育まれる。
人と水と記憶の関わりについて思いを馳せながら、集落で目についた風景を沈めた。
特に気になったのは人形のような洗濯物。茶畑の狭間ではためく姿は、カカシのようでもある。1日の記憶が洗われ、水分となって蒸発し、また新たな生活の記憶を刻む‥洗濯物とは生活の記憶だ。そして、生きることを繋いでいく。お薬師様の掌を、集落の営みを見守る信仰の中心として泉の中央に沈めた。
記憶の気配と題した展示は、薬師の自然の風景も泉に写し、訪れた人それぞれの記憶となった。
写真を引き上げたり、水面を揺らしたりなどして、自由に楽しんでもらった。
風になびく長襦袢は、出会いを求めて薬師堂に集う村人をイメージした。
この展示が縁で、私はずっと、薬師堂に今も通っている。
今年は一番茶と二番茶のお手伝いもさせていただいたが、こうした展示を通して集落を撮り続けることこそが、写真の一つの意味ではないかと感じている。
塩郷ダムの対岸、県道が一部崩落していることもあり、アクセスは中部電力の橋に頼る集落。
しかし、谷あいに位置するので、朝靄や霧が良質な茶葉を育んでいるのがこの久野脇と三ツ間集落。
集落の方々と挑戦したいこともあり、佐澤薬師如来様とは特別な縁がありそうだ。
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