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イトナミダイセン藝術祭2019


mother-母なる栗-イトナミダイセン藝術祭2019-


2019年の初冬、鳥取県大山町にて開催されたイトナミダイセン藝術祭2019に参加させていただいた。

森やお寺‥様々な場所の候補があったが、その中に退廃した元バス停があった。 もう随分と使われていないそうで、画像は割愛するが荒れたい放題。鳥の亡骸や糞、吹き込んで入った物などが散乱していた。

このバス停を勧めらた時、正直はじめはあまり乗り気ではなかったが、「来春ここを集落の新小学1年生の女の子が学校に通うために使う」と聞き、決意した。


ー場を清めるところから始めようー

5時間の格闘が始まった



バス停は集落の入り口。長田玄関とも言える場所。

そこが綺麗な方が気持ちがいいのは言うまでもない。


掃除中、集落の方々が様子を見にきてくださったり、差し入れを持ってきてくださったり、皆バス停が気になる様子。

バス停横の緑化委員をされている女性は、変貌したバス停に感動し「皆気味悪がってバス停には近づかなかったの。こんなに綺麗にしてくれるなんて!私たちがバス停の横をお花畑にするからね」と嬉しい言葉を私にくれた。


そして掃除の後、集落を4日間歩き回り、この地域の象徴的な存在は「栗」であると私は気がついた。


集落近くの妻木晩田(むきばんた)遺跡は、わざわざ海から離れた山の中腹に位置し、その住居は栗の木でできている。建材や食材としての栗がその立地を決めた可能性があることが取材でもわかった。





車に轢かれ、内皮を露わにする栗。

私は腰をかがめて、その佇まいを観察した。


栗は身を呈して中身を守り、種が剥がれ落ちた内皮は女の佇まいに満ちている。

栗という存在そのものが、この集落にとって母なる存在なのではないか。




私は腰をかがめ、栗の内皮を覗き見て撮影したわけだが、写真を見るという行為までデザインしたいと思い、同じ姿勢で見ていただく方法を取った。




集落の入り口、バス停を「栗の神社」に見立てたインスタレーション。

鈴を鳴らして神社に入るイメージと、糸が絡まることによって人が来た痕跡が残るイメージ。


天井の落書きに目が行くように、作品を足下に置いて視線を下に誘導し、バス停が狭いため、メッセージは外壁面に貼り付けた。









撮影者と観察者が、同じ姿勢で同じものを見る試み。

写真はパッと見過ごすものではなく、撮影者のパッションと視点を疑似体験できるものであって欲しい。



mother-母なる栗-イトナミダイセン藝術祭2019-




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